益田川は、益田市美都町都茂の春日山北嶺に水源を発し、北西に下って益田市久城町と中須町の境界から日本海へ注ぐ、全長32km、流域面積127k㎡の二級河川です。
益田市中心部を流れるもう一つの高津川の方は清流日本一となって、脚光を浴びていますが、益田川の方はこれに比べて陰が薄くなっています。また、益田川と言えば、全国的には岐阜県にある飛騨川の益田郡金山町から上流部分の益田(ました)川の方が有名で、益田(ますだ)川の方は目立たない存在です。
しかし、高津川が旧浜田藩と旧津和野藩の国境を流れていたのに対し、益田川は浜田藩領を流れていたため、川を横切っての人の往来も多く、住民により身近な親しまれた存在でした。そのことは今でも変わりはなく、益田川は高津川に比べて橋も多く、その両岸に町が広がっています。また、川岸には桜並木などもあり、市民の憩いの場となっています。すなわち、益田川こそ益田市民に身近な存在であり、益田市民に愛され、益田市民と共に生き続けている川なのです。清流日本一ではなく、また二級河川ではあっても、益田川こそが益田を代表する川であると言うべきだと思います。
そこで、このコーナーでは愛すべき益田川を紹介していきたいと考えています。皆さんも、是非、益田川周辺へ遊びに来て下さい。
 


画像クリックで拡大写真

平成21年3月9日に河口を出発し、平成22年4月25日に益田川本流の水源へ到達した私は、5月30日、今度は今市川を益田川との合流地点から水源へ向かって歩くことにしました。今市川は、河口から約1km上流の下本郷町と中吉田町の境界に沿って流れ、やがて乙吉町を遡り、昭和町から東町を通り、遠田町との境辺りが水源になります。しかし、全長約4kmと益田川本流に比べて短いため、その日の内に3km以上を踏破し、県道171号線の所(旭町集会所)まで到達してしまいました。
そして、同年6月27日、旭町集会所は私の家から600m程なので、家から徒歩で出発し、およそ30分程で水源とおぼしき辺りへ到着しました。しかし、途中から雨が降り出し、雨の中の歩行になってしまいました。
なお、今市川の由来である「今市」という所は、中世には益田川と高津川が、この辺りで合流しており、16世紀後半から17世紀初頭には船着場として栄えておりました。今でも船着場の後の石垣が残っています。当時、益田地域を支配していた益田氏は、今市を拠点として、日本各地はもとより、遠く中国や朝鮮との交易をしていました。
    平成22年8月27日
 

この橋は人や車は通れません。人は歩いて渡ることもできますが、危険なので見つかると怒られます。もっとも、山陰本線では滅多に列車が走りませんので、列車が走る時間帯さえ熟知していれば、それほど危険ではないかもしれませんが・・・
この橋は有明町から乙吉町に向かって、西南から南東方向に架かっています。この橋が何時できたのかを調べるために32℃の猛暑の中、鉄橋の乙吉町側まで行ってみましたが、それらしい記録は何も書かれておらず、ただ2006年11月に塗装されたと書かれておりました。なんでも3回塗装したそうです。そこで、駄目元で有明町側へ行ってみました。もちろん鉄橋を歩いて渡るようなことはせず、対岸まで車で大回りし、近くの本屋の駐車場に駐めて、猛暑の中を歩いて見に行きました。すると昭和47年12月27日竣工と書かれていました。
三保三隅・益田間が開業したのは1923年(大正12年)12月26日ですので、この時、既に鉄橋はあったはずなのですが、昭和47年に架け替えられたということなのでしょうか。
いずれにしても、この橋は益田市民が県都松江へ行くための山陰本線が通る橋であり、市民にとって重要な橋であることは違いありません。
    平成22年8月13日
 


この雪舟新橋は昭和56年12月に竣工したと欄干に書かれています。雪舟新橋は国道191号線の橋ですが、山口県下関市から広島市へ至る国道191号線の内、益田市~広島市間は昭和45年4月1日に国道に昇格していますので、国道になってから次第に道路を整備し、約10年目にしてこの橋が出来上がったのでしょう。
国道191号線は山口県下関市から日本海沿いを走り、益田市街地に入ってから国道9号線と交差し、私の事務所のある「あけぼの西町」、あけぼの本町、あけぼの東町を通過して、この雪舟新橋を渡って乙吉町に入り、それから山陰本線を跨いで昭和町を通り、私の自宅のある東町を経由して、中国山地を横断して、広島へ向かいます。雪舟新橋は私の通勤経路にあって毎日渡っている橋です。
なお、雪舟新橋の乙吉町側の袂の直ぐ東側には日時計のある「そうり公園」があります。
    平成22年7月20日
 


益田川は、益田市美都町都茂の春日山北嶺に水源を発し、北西に下って益田市久城町と中須町の境界から日本海へ注ぐ、全長32kmの河川です。私は、河口から水源まで歩いてみようと、平成21年3月9日に河口を出発し、毎月1回程度歩いておりましたが、この度、平成22年4月25日に水源とおぼしき辺りに到達しました。
この日9時13分、みと自然の森を出発し、益田川を上流へ向かって歩き始めました。そして9時49分、出合橋に到着しました。ここで出合川と分岐します。さらに1時間程歩いて、10時52分に赤松橋に辿り着きました。ここで赤松谷川と分岐します。しかし、そこからが大変でした。所々で、川の分岐がありますが、どちらが益田川本流なのか分かりません。そこで、川に沿って道路がある方が、本流であろうと勝手に決めて、上流へ上流へと進みました。間違っているかもしれませんが、道路沿いの川の方が川幅が広く、水量も多いので、仮にこちらが本流ではないとしても、今ではこちらの方が本流と言っても差し支えないという信念で進みました。そして、ようやく水がなくなるところまで到達しました。
  しかし、どこが水源なのかは、定かではありません。この辺りは、川幅、正確には溝幅もいよいよ狭くなり、しかも分岐があちこちにあり、どこが本流なのかいよいよ分からなくなりました。どの水流も優劣がなく、どこが水源と言ってもおかしくはありません。そこで、益田川の水源のありそうな一帯を写したのがこの写真です。私自身は、水源を求めて、この辺りを1時間ちょっと歩き回りましたので、どこかは、分かりませんが、益田川の水源に達したはずです。
    平成22年7月3日
 
橋の欄干には、昭和60年3月竣工と刻まれています。それはそうなんでしょうが、それは架け直された現在の雪舟橋のことです。私が、小学生だった頃にも雪舟橋はありました。その当時、私の事務所のある「あけぼの」一帯は吉田原という沼地で町並みはおろか人家もほとんどありませんでした。そのため、このあたりには橋など必要なく、吉田橋の直ぐ上流の橋が雪舟橋だったと記憶しています。そして、駅の南側にある旧上吉田に住んでいた小学生の私の吉田小学校への通学路は、吉田原の東を迂回して雪舟橋を渡るか、西を迂回するかのどちらかでした。朝は、距離の短い西ルートを通っていましたが、帰りに友達の家に遊びに行ったときなどに、東ルートを通り、雪舟橋を渡っていました。
    平成22年5月24日
 
橋の欄干に記載されているところによると昭和52年4月に竣工したそうです。この橋は、県道310号線に架かっている唯一の橋だそうです(そもそも県道310号線なんて名前自体、初めて知った!)。
当ホームページに掲載されている桜は、この橋と一つ下流の益田新大橋の間に植えられているものですが、毎年3月末から4月中旬まで、その桜を含めてこの橋の下流から上流までの桜が、あけぼの振興会によってライトアップされ、夜桜見物に最適なスポットとなっています。
    平成22年4月
 
昭和37年3月に竣工したと橋の欄干には書いてあります。昭和37年3月と言えば、私は、この益田新大橋の直ぐ西にある益田市立吉田小学校の2年生でした。吉田小学校の前には国道9号線が通っていますが、私が吉田小学校に入学した頃には、まだ国道はなく、学校の南側には吉田原が拡がっていました。その当時、吉田原の南の山側に住んでいた私は、小学校に通うのに、まだ舗装もしていない道で迂回しながら登校したものでした。それが国道9号線の開通により、その測道を通って通学できるようになり、随分と登校時間が短くなったものでした。
益田新大橋は、その国道9号線の開通の際に竣工した、私に小学校時代を思い起こさせる橋です。
    平成22年2月26日
 
吉田橋は昭和58年10月に竣工しております。ちなみに五福寺橋は平成19年3月、大元橋は昭和56年12月、益田新大橋は昭和37年3月に竣工しております。吉田橋は両岸が中吉田で吉田地区のど真ん中にありますが、橋の名の由来は不明です。
ただ吉田橋が竣工する少し前の昭和58年7月23日未明には、1時間当たり90mmという集中豪雨(昭和58年7月山陰豪雨)があり、益田川が破堤し、最大浸水浸3~4mの水害が発生した。この時の死者・行方不明者は107人に及んだ。当時、広島市に住んでいた私は、翌日、益田の実家に帰ったが道路が寸断されており、国道9号線の安富町あたりから通行止めになっており、山を越えて喜阿弥町へ抜け、国道191号線を通って益田市の中心部まで入りました。私の実家は、元町で高台だったので水には浸かっていませんでしたが、下界で水道を大量に使うため、水道がでないという水害の影響があったのを覚えています。
    平成22年1月12日
 

益田川の河口から約1.3km上流に位置する第3番目の橋です。
大元橋という名前の由来はよく分かりませんが、橋の中吉田町側に大元神社がありますので、神社に由来しているのかも知れません。大元神社というのは、益田市ではここ中吉田町の他にも、久城町、下本郷町、多田町、岩栃地区(岩倉町、栃山町)などにもあります。(特に匹見下村には、「田原大元神社」というのがありますが、私とは何の関係もありません。)これらの大元神社は、太陽神である大元神(おおもとがみ)を祭っており、村の守護神として信仰されていたようです。中吉田の住民の祖先が稲の豊穣を願って建立したものと思われます。
    平成21年12月24日
 
益田川の河口から約1km上流に位置する2番目の橋です。当初、この橋は国道9号線のバイパス(益田道路)の測道である一般県道久城インター線に架かっているので、名前はないと思っていました。仮にあるとしても、「県道久城インター線線1号橋」などという味気ない名前だと思っていました。ところが、この橋にも、「五福寺橋」という、ちゃんとした名前があったのです。どうして分かったかというと、車で橋を渡った時に、橋の端に書かれている橋の名前を呼んだのです。普通は、高速で走っている車の中から橋名を読むのは困難ですが、橋を渡り始める時と渡り終える時に減速して読みました。後続車に追突されかねない極めて危険な行為なので、皆さんは真似しないようにして下さい。
では、何故、「五福寺橋」なのか?近くに「五福寺」という寺があるのでしょうか?「五福寺」という名前の寺は、益田市にはありません。五福寺というのは、寺名に「福」という寺が用いられている五つの寺のことです。安福寺、蔵福寺、東福寺、妙福寺、福王寺の五つの寺の総称です。でも今はそんな寺はありません。昔、五福寺橋の近くの中須町、下本郷町、久城町の一帯は宗教文化が発達し、五福寺が建立されたそうですが、これは1025年(万寿3年)の大津波で潰れてしまったそうです。その五福寺の名残が、21世紀にできた五福寺橋なのです。
    平成21年11月13日
 
益田川の河口から約600m上流に位置する最も海に近い橋が月見橋です。現在の月見橋は、昭和42年8月に竣工した鉄筋コンクリート製の橋ですが、私の記憶にある橋は木の橋でした。小学生の頃、月見橋の近くで魚釣りをしたものです。川面でボラが跳ねていたのを覚えています。
    平成21年9月25日
 
日本海に注ぐ益田川の河口です。今月より河口を出発して、上流へ向かって、益田川に架かる橋を1つ1つ紹介していきます。
益田川河口 平成21年8月11日
 

 
益田川の流域に暮らす仲間達を紹介していきます。
 
【オオバン】Fulica atra(脊椎動物門鳥綱ツル目クイナ科)留鳥

画像クリックで拡大写真
五福寺橋~大元橋〔平成21年10月18日撮影〕
益田川の河口から2番目の橋である五福寺橋上流で見つけたオオバン。
オオバンはアフリカ大陸北部、ユーラシア大陸及び周辺の島(アイスランド、イギリス、スリランカ、フィリピン、日本等)に棲んでいる。ヨーロッパ、シベリア、朝鮮半島などで繁殖し、東南アジア、アラビア半島、サハラ砂漠などで越冬する。日本では九州以北で繁殖し、本州以南で越冬する。つまり北海道では夏鳥、九州では冬鳥である。
湖沼、湿原、水田等の水辺で暮らす。主に水性植物を食べるが、魚、鳥の卵や雛、昆虫、軟体動物なども食べる。水辺に巣を作り、1年に2回、産卵する。
    平成22年8月27日
 
【ハマシギ】Calidris alpina(脊椎動物門鳥綱チドリ目シギ科)旅鳥

画像クリックで拡大写真
河口~月見橋〔平成21年10月30日撮影〕
益田川の河口近く(益田市久城町)で見つけたハマシギ(冬羽)。
ハマシギは、北アメリカ及びユーラシア大陸の北極海沿岸のツンドラ地帯で繁殖し、冬は北アメリカ、アフリカ西海岸、中東、地中海沿岸、中国南部で越冬する。日本では旅鳥もしくは冬鳥として、全国各地に渡来する。
干潟、砂浜、河口、水田等に棲み、貝類、甲殻類、ゴカイ、昆虫などを食べる肉食性の鳥である。卵を暖めるのは雄雌交替だが、雛の世話は雄だけがするという、変わった習性を持っているそうです。
    平成22年7月21日
 
【セグロセキレイ】Motacilla grandis(脊椎動物門鳥綱スズメ目セキレイ科)留鳥

画像クリックで拡大写真
深折川・葛根橋~湧銅橋〔平成22年2月21日撮影〕
益田川の支流である深折川沿いの民家の塀で休むセグロセキレイ(益田市美都町山本)。
セグロセキレイは、北は北海道から南は九州まで広く分布していますが、日本以外ではロシア沿海地方、朝鮮半島、台湾、中国北部などでまれに見られる程度で、ほぼ日本だけに住むと言って良いでしょう。
水辺に住み、雑食性である。一年中、自分の縄張りの中で暮らす。セキレイの仲間には、ハクセキレイやキセキレイなどがいるが、縄張り意識の強いセグロセキレイは、これらをも追い払う、強い種である。
    平成22年6月1日
 
【アオサギ】Ardea cinerea(脊椎動物門鳥綱クノトリ目サギ科)留鳥

画像クリックで拡大写真
河口~月見橋〔平成21年10月31日撮影〕
河口に一番近い月見橋下流を飛ぶアオサギ。
アオサギはアフリカ大陸、ユーラシア大陸、イギリス、インドネシア、フィリピン、マダガスカル、日本などに広く分布する。日本では、北海道では夏鳥、九州以南では冬鳥であるが、本州、四国では留鳥であり、益田川流域に生息する写真のアオサギ君は留鳥である。
川、湖、沼、干潟、田圃等、水辺にはどこでも広く生息し、港にまでいる。肉食性で、魚、カエルなどの両生類、昆虫や小型のほ乳類まで食べる。繁殖期にはコサギやチュウサギなどと共に、木の上に集団で巣を造り(コロニー)、産卵、子育てをする。
    平成22年5月8日
 
【コゲラ】Dendrocopos kizuki(脊椎動物門鳥綱キツツキ目キツツキ科)留鳥

画像クリックで拡大写真
益田新大橋~曙橋・田原事務所裏〔平成21年9月29日撮影〕
益田川から約170mの距離にある当田原事務所の裏にある畑の柿木で食事中のコゲラ。
コゲラは日本列島、朝鮮半島、中国東北部、ロシア南東部などの東アジアの一部に分布している。日本では全国に広く生息しているが、地域により9種の亜種が存在する。写真はシコクコゲラ(Dendrocopos kizuki shikokuensis Kuroda)で、中国、四国、近畿地方に分布している亜種。
主に昆虫を食べるが、木の実を食べることもある雑食性である。写真のコゲラも、柿木の表面にいる昆虫や、嘴でつついて柿木に穴を開けて長い舌で穴の中にいる昆虫を食べているところでした。
    平成22年2月26日
 
【カワアイサ】Mergus merganser(脊椎動物門鳥綱ガンカモ目ガンカモ科)冬鳥

画像クリックで拡大写真
山陰本線鉄橋~津村橋〔平成21年7月5日撮影〕
カワアイサはユーラシア(アジア、ヨーロッパ)大陸中北部、北アメリカ大陸北部で繁殖し、冬季はヨーロッパ、中央アジア、インド東部、中国東部、朝鮮半島、北アメリカ中部で越冬する。日本では、九州以北に冬鳥として渡来する。北海道では留鳥として、少数が繁殖している。湖沼、河川に生息し、水に潜って魚を食べる。
冬鳥であって、この益田には夏にはいないはずのカワアイサですが、何故か雄が1羽だけいました。渡りがめんどくさいのか、彼女に振られて北の国での繁殖が望めなくなったのか、理由は分かりませんが、アヒルと一緒に暮らしていました。
    平成22年2月26日
 
【コシアカツバメ】 Hirundo daurica Linnaeus (脊椎動物門鳥綱スズメ目ツバメ科ツバメ属)夏鳥

画像クリックで拡大写真
益田新大橋~曙橋〔平成21年7月5日撮影〕
河口から5番目の益田新大橋上流の乙吉側にある福祉プラザますだの巣で育ったコシアカツバメの雛。
カワウはユーラシア、アフリカの各大陸に広く生息する。渡り鳥であり、日本では本州中部より西に飛来し、繁殖している。市街地や農耕地等に住んでいる。
崖や民家の軒下、橋桁などに土と枯れ草を唾液で固めて巣を作るが、ツバメの巣はお椀上で上が無いのに対し、コシアカツバメの巣はトンネル状で中を見ることができない。
ちなみに、我が家に毎年やって来て、子育てをするのは、このコシアカツバメではなくツバメです。
    平成22年1月12日
 
【カワウ】Phalacrocorax carbo Linnaeus (脊椎動物門鳥綱ペリカン目ウ科ウ属)

画像クリックで拡大写真
大元橋~吉田橋〔平成21年6月20日撮影〕
河口から3番目の大元橋上流の中吉田側川岸のテトラポット上で休むカワウ。
カワウはユーラシア、アフリカ、オーストラリアの各大陸に広く生息する留鳥であり、日本では本州と九州で繁殖している。河川だけでなく、河口付近や浅海息でも見られる。
狩猟鳥ではあるが、肉もまずく、羽毛も利用価値はほとんどないので、カワウを狙うハンターは少ない。古くは愛知県知多郡でカワウの糞を農業用肥料に利用していたが、今では利用されていない。
わずかに中国で鵜飼に利用されてはいるが、日本ではカワウではなくウミウを利用しているので、日本では人間のお役には立たない鳥である。因みに岐阜県長良川で有名な鵜飼は鵜にヒモをつけているが、益田市の高津川で行われているのは離し鵜飼といって、ヒモをつけない日本唯一の鵜飼である。
    平成21年12月24日
 
【スズメ】(スズメ目ハタオリドリ科)留鳥
益田川から約170mの距離にある当田事務所を訪問した(迷い込んだ)スズメ。
スズメは小笠原を除く日本中至る所に一年中、住んでいます。このように、一年を通して、繁殖と越冬を同じ場所で行う鳥のことを留鳥といいます。特に珍しくもない鳥ですが、当事務所を訪れた唯一の鳥ということで、まず最初に登場して貰いました。
スズメが見つめているのは、シャガール(Chagall)の作品です。シャガールをわざわざ見に来るとは、なかなか目の高いスズメだと言えます。さすがはトップバッターだと言えるでしょう。

画像クリックで拡大写真   平成21年8月11日
 

 
我が愛すべき益田川のライバル高津川河口で8月1日(土)午後8時から約1時間程行われた花火の模様。この間、3,500発の花火が打ち上げられ、多くの市民が見物に訪れた。花火が打ち上げられている間、川面では御神体を乗せた御座船を引いて提灯や大漁旗で飾った伝馬船が漕ぎ回る約300年続く神事「ホーランエー」が行われ、豊漁、安全を祈願した。私も一生懸命、花火の写真を撮ろうとしましたが、上手くいかず、こんな写真しか撮れませんでした。本物は、すごくきれいなので、来年は是非、見に来て下さい。
画像クリックで拡大写真   平成21年9月25日
 

 


益田市街地を流れる高津川と益田川の内、東の益田川(あけぼの西町)の土手の桜です。西の高津川は、清流日本一に選ばれる程、水質が良く、鮎が生息しています。これに対し、益田川には水質汚染に強い鯉が多数生息しており、清流とまでは言えません。益田川の土手には桜並木が続き、あけぼの地区では、あけぼの振興会により、夜にはライトアップされます。

画像クリックで拡大写真   平成21年4月8日
 

 
事務所に春のおとずれデス!!!
補助者のご実家より贈っていただいた珍しい桃の花。
一本の木に3色の花を咲かせて今、満開です。

一口メモ
「南京桃」は、中国原産の美しい八重咲きの花桃が、約150年前、伊丹の地に持ち込まれて育てられ、兵庫県伊丹市の特産品となったもので、一本の木に「赤」「白」「ピンク」の三色の花を咲かせ、あたかも大道芸の「南京玉すだれ」を思わせます。
「南京桃」は早春に播種し台木を膏て、2年目の秋"芽接ぎ"をおこない、更に、翌年の夏には"ねん枝(枝曲げ)"といった接ぎ木技術を駆使して、枝先を木の根本にワラで引っ張り釣り鐘のような形になるように、3年がかりで仕上げ、鉢に植え替えます。

画像クリックで拡大写真 平成21年3月17日
   
 

 
 
平成22年1月2日の同窓会へ参加された同窓生の皆さん、懐かしいひとときをありがとうございました。5年後に、また会いましょう。
なお、別添所在不明者リストの同窓生が未だ行方不明となっております。情報提供が可能な方は、下記連絡先または当ホームページのお問い合せまで、お願いします。お知らせいただいた個人情報は、同窓会の運営以外の目的には使用いたしません。
 
連絡先 廣兼信介土地家屋調査士事務所(終身幹事)
〒698-0006  島根県益田市三宅町10番33号
TFL(0856)23-4564
FAX(0856)23-4715
 
所在不明者リスト一覧(PDFファイル)
 

Copyright(C)2008. 司法書士・行政書士 田原良隆事務所 All rightreserved.